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2010-04-14 (Wed)
はんの木平庭高原の手前、さかんにハンノキの穂がゆれる。

 平庭高原の一番高いところ、ちょうど葛巻との境に塩の道の入り口がある。興味にそそられて車を右折。あれは初夏の頃か。白樺の林が目を洗うように過ぎてゆく。おっ、山あじさいだ。山の斜面を点々とあじさいの蒼が目に飛び込む。道はくねくねと曲がりこみ、よほど高いのだろう、突然青い山並みの壮大なパノラマが広がる。そのとき私はつよくおもう。ああ、こんなきれいなところを背に塩を積んだベコが、リンリンと鈴(鐘)をならして登っていったのだ。とおい昔、いやほんの半世紀前まで、それは何百年と繰り返しおこなわれ、歴史をきざんできた。浜辺の人々は塩を煮て、内陸へとベコと苦楽をともに旅立ったのだ。その道のりの深さと重み。

岩手山

 ハロ~! 帰ったよ。渋民にはいると広い平地のむこうにデーンと岩手山がみえる。私はおもわずつぶやく。「ただいま」と。私の生まれは野田村で、私の根っこも郷里のものだとおもうが、私を育てたのはこの岩手山だ。岩手山をみると、體がかるくなる。
 牛方もベコも奥羽山脈の荒々しく険しい山道を命がけで降り、この平かなる平地で、雄大な岩手山を仰ぎ、あと少しと安堵したことだろう。盛岡の寺町に塩の道の石碑があり、終点はあのあたりかと思っていた。撫牛(ナデベコ)の千手院もそのあたりだろうと。

大慈清水
大慈清水
おにぎり
ばっけ味噌のおにぎりをいただく。

 ところが、その千手院が、鉈屋町にあったのだ。町家のお雛様をみながらそぞろ歩いていって、終わりちかくお豆腐屋にたどりついた。道路むかいにこじんまりとしたお堂がある。吸い寄せられるように門をくぐる。どこか清々とした威光にあふれている。千手院。なんかきいたことあるなあ、と思う間もなく「野田塩ベコの道史跡」の看板が目に飛び込んだ。まさかと目を疑う。あまりにも以外で、ここが塩の道の到達点かと、驚く。ここで、撫ベコにあうとは思いもしなかったのだから。 
千手院

 
 鉈屋町の古い町並で、塩の道の伝説の阿弥陀堂・千手院に出会うとは不思議である。「撫牛(ナデベコ)とは200年ほど前、野田玉川の牛方(牛方一人が追う牛の群れは一ハズナ7頭)清右エ門が、背赤の牛が疲れと暑さで牛方の止めるのもきかず中津川に入り、塩を全てだめにしてしまったことに腹を立て、背赤の牛を折檻。牛は阿弥陀堂の庭に逃げ込み倒れる。居合わせた寓円和尚が清右エ門をいさめ説教し、悔い改めた清右エ門がのちに、南蛮鉄12貫の撫ベコ(藤田善九郎作)を千手院に寄進した。このベコを撫でると、健やかな子育てへの願いと,牛方道中ならぬ交通安全の願いを叶えると詣でる人が後を絶たなかった」―あとで調べてみると、撫ベコの阿弥陀堂は山岸村にあり、後に鉈屋町本寺千手院に移管されたとある。(撫ベコの詳しいことは「野田塩ベコの道」に記載されている)
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